Hiya~~
ワーホリとは、青春!
西オーストラリア州在住のカスミです
- これからワーホリに行く人
- いま、ワーホリ中の人
- 他人のワーホリに興味がある人
よく、
ワーホリでは、日本人とつるんでもいいのか、否か
という不毛な議論が定期的に散見されますが、結局
ワーホリは限られた時間をいかに満喫できるか
が大切になってくると私は考えます。
日本人の友人と様々なことに挑戦してかけがえのない思い出が作れたのなら、それは最高のワーホリと言えるのではないでしょうか。
100人いれば、100通りの過ごし方があるワーホリです。
みんな違ってみんな良いんです。
さて、今回は、私の2年間のワーホリ体験記を紹介します。
今後のワーホリ生活のアイデアになれば幸いです。
それではー、どうぞっ!
ワーホリのきっかけ
初めてオーストラリアの地を踏んだのは、私がまだ20代前半のときでした。
朝起きて仕事に行き、家に帰ってご飯を食べて寝るという、毎日がとても退屈でした。
職場では仲の良かった同僚の退職が決まりモチベーションが低下
当時付き合っていた恋人への気持ちが冷めてきてモヤモヤした日々
そんなとき、友人がワーホリでカナダへ行った話を聞き、すぐにワーホリについて調べ、気がついたら私は、オーストラリアはブリスベンの地におり立っていました。
子供の頃から、海外で英語を使って生活することに憧れがあり、なにかに熱中するといっきにそこへ突き進む性格なので、ワーホリという制度を知ってから行動まではかなり早かったです。
いまの生活を変えたい気持ちと少しの好奇心が私を動かすには十分でした
全体の流れ
もとから旅行が好きだったので、ワーホリの2年間でなるべく多くの都市へ行きたいと思っていました。
語学学校へ行ってその後ファームジョブをする
渡航前に決めていたことは、これだけです。
それ以降は、その時々で、色々な人と話すことで、興味があることワクワクする方向へ進んでいこうと考えていました。
基本的には、『節約しながらがっつり働いて貯金→ホリデーで散財』を繰り返してオンオフを付けていました。
これが私のワーホリ!
語学学校(4ヶ月) in ブリスベン
英語圏で生活する為に英語を話せることは大前提なので、ここで基礎からしっかり勉強しました。
当時の私の英語のレベルはとても低かったのでクラスメイトは殆どがアジア人でしたが、明るい友達に囲まれ、楽しい毎日でした。
シドニーやメルボルンといった大都市があまり好きではないので、ブリスベンを選びました。ごちゃごちゃしすぎず落ち着いていて、とても居心地がよかったです。
ファーム生活(3ヶ月)
語学学校を卒業して、すぐにファームへ行きました。
セカンドビザを取りたいけど、いま持ってるビザの残りの日数が足りるかギリギリ
と焦っている人をたくさん見たので私の計画は正しかったと思います。
毎朝4時に起きて、ファームへ行き
泥だらけになりながら働き
暗くなったら家に帰り、21時前には寝る。
休みの日は、家でひたすらごろごろして
心身共に休む
という生活でした。
手帳に、いま何日働いたかを毎日数えていた日々が本当に懐かしく思います。
当時は大変だったけど、いまではよき思い出です。
寿司屋で働く(8ヶ月) in メルボルン
ファーム生活中に好きになった子が、ファーム後はメルボルンに戻るという理由だけで、私もメルボルンにやってきました。
日本人しか働いていない寿司屋だったので、オーストラリアにいるにも関わらず、日本人社会で働いていました。
巻き寿司を上手く作る技術を得ることができました。
日本人の子がワーホリに来て寿司屋で働き、巻き寿司を作るのが上手くなって帰るのは、あるあるだと思います。
ここで、一緒に働いていた永住者の女性にとてもよくしてもらったので、私も今、彼女と同じ立場になり、ワーホリの子たちに出来ることはしてあげようと、思えるきっかけになっています。
ホリデー(2週間) in シドニー
高校の友人がオーストラリアに遊びに来てくれるということで、一緒に旅行しました。
あの有名な、ハーバーブリッジをのぼり、スカイダイビングをし、移動してケアンズでコアラを抱っこして写真を撮りました。
WWOOFでボランティア in ケアンズ
当時は英語力がかなり低く自信も無くて、有給ではジャパレスでしか働けませんでした。しかし、英語環境の生活に挑戦してみたいという思いから、WWOOFという制度を利用し、無給でボランティアをしながら生活をしていました。様々な景色見て学ぶこともたくさんあり、充実した経験を得ることが出来ました。
WWOOF についてはまた別記事で詳しく書きますのでお待ちください。
ウルル旅行(4日間)
当初は、日本に住む友人と2人でツアーに参加してウルルを満喫する予定でしたが、彼女が乗る予定だったジェットスターの便が2回連続で遅延になり、オーストラリアに来ることを断念せざるを得なくなり、一人でウルルへ行きました。
7月のウルルは、繁忙期で値段が高いですが、ハエがほぼいなくて、とても快適に過ごせました。
オーストラリアのシンボルでもあるエアーズロックを実際にこの目で見て、アボリジナルの人たちが残した絵から当時の生活を想像し、とても貴重な体験ができました。
ホリデー(1週間) in ケアンズ
日本に住む親友が、遊びに来てくれたので、グリーンアイランドに宿泊し、シュノーケリングやスクーバドゥーでグレートバリアリーフを大満喫しました。
ホリデー(1週間) in パース
ずっと、オーストラリアの東側におり、西オーストラリアにもいつか行ってみたいとずっと思っていました。
ビザの期限も迫ってきて、時間的に、出来ることはあと一つだということで思いきってパースへ行きました。
こんな些細な決断が私の人生を大きく変えることになるとは、夢にも思わなかったです。
ジャパレスで働く(3ヶ月) in パース
希望していた職種の仕事がなかなか見つからず大変でした。
かなり貯金が減って焦っていたので、バッパーで出会った日本人の子に教えてもらったジャパレスにレジュメを持っていき働き始めました。
一緒に働いていたスタッフはとてもよく、素敵な出会いもありましたが、オーナーがちょっとやばいことをしており、それに気づいてすぐに辞めました。
ファーム生活(1ヶ月)
友人の紹介で、ファームの仕事をもらえました。
最初の頃にセカンドを取るためにしていたファーム生活とは大きく異なり、とても快適な毎日でした。
それは、給料が時給だったこと、仲介して中抜きをするコントラクターがいなかったこと、シェアハウスもファームも人が少なかったことが要因です。
そして、ファームのボスも本当にいい人で、後にここの会社にスポンサーになってもらい永住権を取得しました。
ホリデー(1週間) in タスマニア
2年間のワーホリを締め括るべく、友人が日本から遊びにきてくれて、キャンピングカーを借り、タスマニアを一周しました。
大自然を満喫しとてもいい思い出になりました。
英語力の変化
思ってたほど伸びなかった、というのが正直なところです。
それは、語学学校を卒業した後に、勉強を継続しなかったこと、日本語環境に長くいたこと、が理由としてあります。
逆に、継続して勉強を続け、英語環境に身を置いていれば、ワーホリでも英語力の向上は十分に望めると言えます。
ワーホリの初日からやり直せるなら?
ワーホリの2年間は本当に充実していて特にないです。
強いて言えば、もっと英語のレベルが高かったら、より多国籍の友達が出来たし、ローカルのレストランで働くことも出来たかなと、思います。
これからワーホリに行くことを考えている人は、しっかりと英語の勉強をして臨むことをお勧めします。オーストラリアは、公用語が英語なので、英語が話せることは大前提です。
英語が話せずに、最低賃金以下で働かされているアジア人はごまんといます。
オーストラリアに出稼ぎにきたものの英語が話せず仕事が見つからなくて泣く泣く帰国せざるを得ない日本人がたくさんいるのも現実です。
最後に
以上が、私の2年間のワーホリ体験記でした。
これからワーホリに行く人、今後のワーホリで悩んでいる人、この記事が誰かの役に少しでも立てば幸いです。
私が体験したものとは全く異なるワーホリを過ごした2人のお話を紹介しています。
こちらもあわせてどうぞ。
参考までに、オーストラリア政府のウェブサイト
ワーキングホリデーのページのリンクを貼っておきます。
ビザに関しては、常に政府のウェブサイトで情報を得るようにしましょう。
Working Holiday visa (subclass 417) (homeaffairs.gov.au)
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
私は、永住権取得を目指す全ての方、オーストラリア生活を存分に満喫したい全ての方、そしてオーストラリアが大好きなそこのあなたを心より応援しています。
筆者 カスミのプロフィールはこちらです。
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それでは、bye~~
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